NEWKIDSCREW新春スペシャル!
「私を構成する9枚のアルバム」を挙げてみよう。


●NEWKIDS

NEWKIDS

コンピレーション/トライフォースCD/???
全日本レコードが別名義で出してたVA盤。これが初めて買ったナードコアのCDで、ファミコンとかアニメのサンプリングが使われているっていうのも面白かったけど、勝手にこんなものを作っていいのか!?という驚きがあり、欲しいものは自分で作る、思いついたらやってみるみたいな考え方を学んだ。「勝手にこんなものを作っていいのか!?」と聞かれたら「ダメ」としか言えない。

電気グルーヴ/KARATEKA/1992.10.21
このアルバムに入っている「March」に「完璧な仲なんてある訳ないよ ずっと続けば煙たくもなるし」っていう歌詞があって、これを聞いてから、どんなに仲が良くても人と人はいつか離ればなれになるものという考え方が植え付けられた。なのに卓球と瀧はいつまで経っても仲良く一緒に電気グルーヴをやってて、騙されたという気持ちと奇妙な感動が押し寄せます。

中村一義/金字塔/1997.6.18
中・高校生の頃にスペースシャワーTVをよく見ていて、そこで流れていた音楽全部が自分の青春という感じではあるのだけど、その代表格といえるのが中村一義。「犬と猫」とかのPVをビデオに録画して何度も見ていた。映像とセットで1つの作品みたいに音楽を楽しんでいた気がする。

筋肉少女帯/SAN FRANCISCO/1998.6.29
曲単位で考えると一番好きな曲とかは入ってないのだけど、「SAN FRANCISCO」を軸に選曲されてるこのベスト盤は一本の映画を見たようなドラマチックさがあって好き。ロマンチック趣味みたいなのを植え付けられた気がする。

CONFUSION/DIFFUSION/1995.7.21
自分がやりたい音楽の原点みたいなアルバム。哀愁のたっぷりのメロディ、格好つけた頭良さそうな歌詞、自分には全部できなかった。神にも星にもなれはしない。

THA BLUE HERB/STILLING,STILL DREAMING/2002.4.19
一番すごいと思うラッパーは?って聞かれたらBOSS THE MCって答える。それまでに聞いてたどのラップよりも、このアルバムの内容が圧倒的だった。自分でもラップができるようになりたいと思ったきっかけ。

PIZZICATO FIVE/OVERDOSE/1994.10.1
テクノだったら電気、ロックだったら筋少、ラッパーだったらBOSS THE MCという感じで、渋谷系的なものを1枚選ぶとしたらこれ。オシャレとはこういうことかと思った。

YMO/YMO GO HOME/1999.9.22
1999年に出た2枚組のベスト盤。ダンスミュージックとしてのテクノは電気に学んで、電子音楽としてのテクノはYMOから学んだ。

HARCO/シンクロの世界/2000.11.1
自分を構成した音楽みたいな大げさなものではないのだけど、単純にめちゃくちゃ聞いたアルバムとして選出。ここに上げたどのCDよりも、もしかすると聞いてるかもしれない。


●E TICKET PRODUCTION

NEWKIDS

宮村優子/めっちゃベスト/1998.12.2
エヴァンゲリオンの影響でCDを購入。平沢進さん、大槻ケンヂさん、小西康陽さん等楽曲提供が非常に個性的かつ豪華。
宮村さんを素材に、みんなであれやこれやと実験してるような感覚で面白い。
中でも「大丈夫の笑顔」という全肯定ソングに人生を救われる。全然大丈夫じゃなかったけど、みやむーが大丈夫だと言ってくれるなら大丈夫な気がした。全然大丈夫じゃなかったけど。ありがとうみやむー。

筋肉少女帯/筋肉の大車輪/1992.3.21
伊集院光さんが司会のテレビ番組「うるとら7:00」で「サボテンとバントライン」のMVが流れていて衝撃を受ける。
歌詞の世界観から影響を受けて江戸川乱歩、中原中也、宮沢賢治などに興味を持つ。
このCD以降の曲も好きだけど、1番聴いてたアルバム。

LONG VACATION/AFTER SUMMER LOVERS/1993.10.25
ロンバケの初期ライブ盤。ロンバケ(ケラさん )を通してテクノや渋谷系、ピチカート、村上春樹、スラップスティックコメディ、パソコンカルチャーなど今の自分を構成しているほとんどの物の影響を受ける。 好きなもの全部入れてしまえという人力サンプリング感覚が素晴らしい。
またCD音源の再現ではなく、楽曲の世界観をさらに広げるアレンジに興奮した。というかアレンジって変えていいんだ、という衝撃。

有頂天/SEARCH FOR 1/3 FIN/1991.12.4
それまで受動的にポップソングやアニメソングを聴いていたが、有頂天から能動的に音楽を聴くようになる。ひねくれた世界観、特殊な歌詞など、人生の価値観をまったくかえられた。
ライブアルバムは音源よりBPMが速い気がしてそこも良かった。

THA BLUE HERB/STILLING,STILL DREAMING/2002.4.19
このアルバムに出会って以降、日本語ラップを何年も聴かなくなってしまった。これ以上日本語ラップは進化しないし、完全なる到達点だと感じるほどの衝撃があったからだ。当然、僕が日本語ラップから離れているうちに新たな才能はたくさん出たし、ちゃんと進化もするのですが。

電気グルーヴ/VITAMIN/1993.12.1
クラブミュージック文脈のテクノの原体験のようなCD。この先20年以上固執するTB303の洪水。電気はUFOぐらいからリアルタイムで聴始めて、ANNのおすすめのコーナーで様々なテクノを知る。卓球さんが海外のクラブや音楽に触れるたびにANNで話し、それが音楽性に反映されるという、ラジオと音源の関係性がスリリングだった。それはビタミンでついにひとつの到達点を迎えたのだった。

ECD/ホームシック/1995.3.1
日本語ラップを聴き始めた頃。
マス対コアでTWIGYとユウザロックを知り、そこから色々と聴くようになる。歌われている内容や、音の意味などほぼ理解できなかったが、なんか大変なことが起こっているという熱気を感じた。
また、テレビのインタビューで、所謂ラッパーの人たちが「ヨーヨー!」と言う時にECDは「あ、どうも。石田です」と出てきて親近感を持った。

P-MODEL/ bigbody/1993.3.25
NHKのポップジャムという音楽番組での演奏を見て衝撃を受ける。積まれたシンセを全身を使って演奏するメンバー、見たことない形をしたギター、映し出されるCG、溢れる電子音、未来的な歌詞。
全てが初めて見る光景だった。
クラブミュージックとしてのテクノとは違う、未来の世界で鳴ってるテクノミュージックだと感じた。

doop/Circus Doop/1996.1.8
doopはビックバンドジャズとテクノの融合。死ぬほど聴いたし世界的にヒットした。ひとつのわかりやすいサンプリングネタから曲を作るお手本のようなアルバム。CDではなくボードゲームとして発売して、おまけにCDがついてくる、という謎のコンセプトを言い張っていた。
doopは日本のドラマで散々使われて一時期嫌いになるのだが、10年くらいしたらまた好きになってた。ハードフロアの人が参加してたというけど、wiki見ても書いてないけど…。

という、若い頃に聴いて影響や衝撃を受けた音楽です。


●岡島紳士

NEWKIDS

UNICORN/THE VERY BEST OF UNICORN/1993.11.26
中高とバイトもせず金がなかったのでユニコーンとフリッパーズばかり聴いていた。解散後、93年の中1の頃に兄の部屋で見つけて徐々にハマって行った。ユニコーンは5人全員が曲書いて歌うのがカッコイイ。人気曲が民生曲ばかりじゃないのも良い。復活後はあんま良くない。昔の曲をやると良い。復活して良かった。これから何が起こってもハッピーエンド。

The Flipper's Guitar/three cheers for our side〜海へ行くつもりじゃなかった/1989.8.25
ヘッド博士の方が好きだけど、2nd以降を買うのが遅かったので。小6の時に塾の夏期講習だかの机で学年上の知らない人(男)と文通が始まって、勧められたので買った。確か中学の入学祝いで93年に兄から。全部英語詞で、この人たちは何なんだろう、と思った。小沢健二がフリッパーズだったことを知ったのは「LIFE」を買った後。

小沢健二/LIFE/1994.8.31
オールナイトニッポンでブギーバックが掛かってて、それが聴きたくて発売日に購入。塾帰りに待ち切れず電車の中で開封して友人に気持ち悪がられていた。単発の小沢健二のANNも聴いていた。当時ウォーリーを探せのデカいパズルが家にあって、聴いてるとそれを延々とやっていた記憶が蘇る。パズルは完成せずに終わった。

田原音彦/OTOHICO -Better Days-/1989.6.25
KBS京都ラジオの当時の人気番組「はいぱぁナイト」のパーソナリティー。22-24時の帯番組で、田原音彦は相馬裕子と水曜日を担当していた。田原俊彦とは無関係。日高のり子担当の金曜日が人気で、ローカル局の番組にも関わらずアニメ雑誌の人気ラジオ番組投票で1位を獲得するほどだった。水曜はリスナーからのショートストーリーを読み上げたりデモテープを募集して番組で流したり、陰鬱でクリエイティブな雰囲気で一番好きだった。今年9月に4thアルバムとライブを予定しているとか。

相馬裕子/空と海の出会う場所/1992.6.21
前述「はいぱぁナイト」水曜日のパーソナリティー。90年代ガールポップムーブメントの代表格の1人だが、それは高校以降に分かったことで、当時は理解していなかった。純真な小中学生だった私は「はいぱぁナイト」というラジオ番組が好きで刷り込みのように毎週彼女の楽曲を聴くことにより“ガールポップ好き”という心の傷を一生背負うこととなった。兄の部屋に遊佐未森とか永井真理子とか東京少年のCDがあったのも悪かった。永井真理子はコンプリートされていた。99年にモーニング娘。がブレイクするまでアイドル楽曲は世間的には恥ずべきもので、しかし女性の声を合法的に絶えず聴いていたい90年代の思春期少年たちの魂を救っていたのはガールポップ系アーティストとアイドル声優だった、という話をどこかで書こうと思って10年以上が経過した。表題曲「空と海の出会う場所」が好き。

中村一義/金字塔/1997.6.18
クイックジャパンとロッキンオンジャパンで表紙を飾っていた。彼が使用していたのと同じaudio-technicaのヘッドフォンを購入し愛用していた。オフィシャルサイト「状況が裂いた部屋」の掲示板で若者たちがしゃべり場的な討論をしているのをよく眺めていた。別のアルバムの時にSNOOZERでタナソーとケンカして仲直りしていた。

くるり/さよならストレンジャー/1999.4.21
メジャーデビューくらいの時にNHKの歌番組にサニーデーサービスとかと一緒に出て「尼崎の魚」をやっていた。3人の気持ちの悪い笑顔が印象的なジャケット。「ジャケ買いした」と言っていた友人のを借りて聴いていた。後で自分で買い直した。佐内正史によって京阪沿線で撮影された写真がリアル。岸田は高校生の頃、1人全裸で竹藪の中で踊っていたそうだ。

TOKYO No.1 SOUL SET/TRIPLE BARREL/1998.4.1
高校の修学旅行中、バスのカーテンで1人部屋を作ってウォークマンでずっと聴いていた。「あの小説の中で集まろう」。人に「好きなラッパーは?」と聞かれると「BIKKE」と答えるようにしている。何年か前に音楽事務所の人にふいに「これからどんなアイドルを作ればいいですか?」と尋ねられ「TOKYO No.1 SOUL SETみたいな曲をやるアイドル。BIKKEみたいな子がいる」と伝えたら、美声の男性が歌うラップ皆無の全くソウルセットっぽくないJ-POP曲が送られて来た。SMAPのコンペに出したボツ曲だと言われた。

advantege lucy/Station/2000.4.12
ネオアコ女子ボーカルは大体好きなのだけど、わりと別格でこれをよく聴いていた。「兎」が好きで、iTunesの再生回数はそれだけ異常に多い。ネオアコ関係ないが、シングルを入れていいならPrettyChat「WAKE UP GIRLS!」が確実に9枚の中に入るのだけど。よってアイドル曲は1枚も入らなかった。あと音楽に構成されたとはあまり思っていない。


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